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「おれは!――」
が、ぴんと張つた肩衣のためによけい幅広く見える後姿で、木箱のやうな沓くつをがたつかせ、戸外の明い日ざしの中でその紅い滲んだ紙色をまざまざと照し出されながら、歩いてゆく房一を見送つたときには、紛ふことなき珍妙さが、しかも「堂々」と歩いている形だつた。そして、百何十人もの老壮若の戸主達がこのばさばさした紙で着ふくれ、列をなして歩くときの様子は、まさに観物にちがひない、といふ実感を抱かせたのである。
その何番はわたしの隣室で、当分お客を入れないといったのも無理はない。そこは幽霊(?)に貸切りになっているらしい。宿へ帰ると、私はすぐに隣座敷をのぞきに行った。夏のことであるが、人のいない座敷の障子は閉めてある。その障子をあけて窺うかがったが、別に眼につくような異状もなかった。
房一の態度が穏かだつたので、相手はいくらか落ちついた。
「わたし、あれらしいのよ」
「まだ?ふん!よせ、よせ。阿呆らしい」
「どういふことでせうね、まあ!」
「はあ――ふむ、うちへもかね」
盛子は風呂場の入口で上はずつた声を出した。
しかしまた一方から考えると、今日の一般浴客が無遠慮になるというのも、所詮は一夜泊りのたぐいが多く、浴客同士のあいだに何の親しみもないからであろう。殊に東京近傍の温泉場は一泊または日帰りの客が多く、大きい革包かばんや行李こうりをさげて乗込んでくるから、せめて三日や四日は滞在するのかと思うと、きょう来て明日はもう立ち去るのがいくらもある。こうなると、温泉宿も普通の旅館と同様で、文字通りの温泉旅館であるから、それに対して昔の湯治場気分などを求めるのは、頭から間違っているかも知れない。
徳次はすつかり感心したとも、又その反対ともとれる云ひ方だつた。